25歳で日本のキャリアを捨て海外に飛び出した話
おはようございます!
まだ日も登ってない朝6時ですが、すでに眠気ゼロ!通りで彼女に「Ajuma」と呼ばれるわけだ…Mika( ;∀;)♥( *´艸`)Julie
さって、今日は私が海外に来た経由を書きたいと思います。
少々長めですが、お付き合いくださいm(__)m
さかのぼって大学受験、
今思えば若気の至りですが、ただ東京に行きたくて、センター試験3か月前急遽ある大学の美術教育学科に申し込んで受験しました。
無事合格してよかったものの、子供嫌いな自分が先生になるはずもなく入学した2年後あっけなく中退!
それから美術好きを講じて出版社に出入りしたり、デザインを勉強したりして実際ウェブデザイナーになりました。
しかし!正社員で入ったデザイン事務所は超絶ブラックだった!
朝7時起床して夜12時半帰宅、残業代は出ず月の手取りが12万弱。家賃の6万を引くとまぁ残らなかったよね。。。"(-""-)"
精神的にも体力的にも弱りつつ私が唯一リラックスできる時間は、週末外国好きな友人に誘われ、外国人も数多く参加するミートアップ(Meet up)に出ることでした。
(家にじっとしてると変なことしかねないくらいやばかったのが実情。。。)
なんと、そこで
神が救いの手を差し伸べてくださいましたぁぁ!!!
ミートアップでその日に出会ったある方と仕事の話をしたら、
「やめなよその会社。私も転職した人だけど、今の会社は前より全然まし!!
生活がこんなに変わるってびっくりしたよ??」って言ってくれました。
「辞める???」…(; ・`д・´)???
当時の私は石の上でも三年とばかりに思っていたから、いくら食事の時間すらなく忙しくても、オフィスにいたくなくて寒い中一人で公園でご飯食べていても、辞めることを考えていなかった。(考える余裕もなかった…)
まさに青天霹靂!!!
「いや…辞めるのはちょっと…」と言いながら、
翌月曜日に退職願を出しました~~~!!!(`・ω・´)♥
これがまさに第一回目の転機です!(え?まだあんの??w)
大学まで美術を選んだ私はアートとグッドバイし、180度方向転換して語学に重心を置き始めました。
そして選んだ次の仕事は翻訳!
中国語を生かした仕事はないかな~?って探した時に運よくある大手芸能事務所との契約にありつけ、翻訳未経験ながら雇ってもらえました~~~!!ありがたすぎる…涙
(あ、そうです。中国語話せますw)
しかしここでもいくつか問題点に気づきました。
まず、芸能事務所の翻訳は専門性が浅く、作品のプロモーションや告知、ファンレター、日記の翻訳がメインで、いくら大手でもいつサービス中止になるか読めません。
(サービス中止=クビ!!と思っていたが、実際3年経った今もサービス健在)
芸能事務所の専属翻訳の肩書はいいが、中身がなければキャリアアップにつながらないし次の転職に不利だと考えました。
そして言語間の賃金差。
専門性もさることながら、言語実体に給与差があります。
わかりやすい例を挙げると、医療翻訳の英語単価は私がやっていた芸能翻訳の中国語単価より5倍も高いです。
これじゃイカン!キャリアアップのためにも(お金のためにも!)
海外に行って勉強するしかない!と23歳の時に決めました。
それから2年間翻訳を続け、必要なお金を貯め、25歳の時にその芸能事務所を辞めカナダワーホリに行きました。
当時中国語翻訳のチームリーダーにもなってたし、お給料も30代サラリーマン並にもらってたから、ぶっちゃけ気持ちが不安で不安で、毎日ヒョウ柄みたいな蕁麻疹出てました。笑
でも海外に来て本当によかったと後悔は微塵もありません!!
これぞ「世界が変わった!」と思える変化です!
最初のカナダワーホリからオーストラリアワーホリにつながり、オーストラリアで貯めたお金で海外の大学にも通えるようになりました!
まさにワーホリマジックです。笑
現状に満足できず、何か新しいことに挑戦したい方はぜひ海外に飛び出して、
自分を試してみましょう!
きっと違う自分に出会えるはずです。ファイト!(/・ω・)/★★★